『のぼうの城』 下 和田竜

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読書期間 10月27日~10月28日
和田竜 『のぼうの城』 下

うん、やっぱ、この人の作品はラノベだ。
読んでいてものすごく可視化というか映像化しやすい文章だ。
下巻では「将器」について考えた。
「将器」…なんのこたぁない、リーダーシップ論だ。

戦国の英雄とくれば、信長・秀吉・家康となるだろう。

信長は伝わる逸話などから想像するに、有無を言わせぬ強権発動型で、部下だったら先回りというか「槍働き」の前に「気働き」が求められるだろう。
ご本人サマは「天才」なので、「こんなことは言わなくてもわかるだろう」と思ったり、
「自分以外はバカに見える」と端から思っているので、部下に求められるのは、信長の思考を忖度し、行動することが要諦。
でも、それ以上の出過ぎた先回りはNGだ。
このバランス感覚というか、そういうチカラが部下には求められるために、非常に仕えにくいタイプだろう。
めんどくさすぎるタイプで、光秀がキレるのもさもありなんw

秀吉は「人誑し」とひと言で形容される。
出会う人間を虜にし、その人間の能力以上に「やる気」というか、能力を引き出してしまう。
おそらく、気難しい主人であった信長に仕えた経験が、持って生まれた観察眼や洞察力により一層磨きをかけたのだろう。
また、この気難しい主人を反面教師として、「人使い」に苦心もしただろうし、もちろん、この当時の「やる気」の原動力となる論功行賞も上手かったのだろう。
だが、この人に対してのみ求心力であって、秀吉の死後はあっけなく彼に取り立てられた多くの大名が豊臣家に離反する。
そして、晩年の秀吉最大の瑕瑾は-老いというモノは-英雄にも必ずや訪れるものであって、その晩節を汚してしまったことだ。
人の引き際の難しさというモノを痛感する。

家康は「隠忍自重」の人である。
だからこそ、天下統一を果たせたのだろう。
幼少の今川家人質時代、そして、青年期には妻子を自害させてまでも信長に臣従を誓い、戦においては武田信玄に完膚なきまでに叩きのめされた「三方ヶ原の戦い」では、トラウマになるほど手酷い敗戦を味わう。
そして、本能寺の変での信長の死によって重石が取れたと思えば、その後は、信長の後継者たる秀吉への臣従である。
戦国の世の習いだとしても、小大名の家に生まれた者の屈辱的な人生であり、けして順風満帆な人生ではない。
「耐えに耐えて待つこと」が出来たからこそ、天下が彼に転がり込んだのだ。
「天地人」…天の時、地の利に叶い、人の和とも整いたる大将というは、和漢両朝上古にだも聞こえず。いわんや、末代なお有るべしとも覚えず。もっとも、この三事整うにおいては、弓矢も起こるべからず、敵対する者もなし。 -『北越軍談 謙信公語類』-
これが全て整ったときに「天下」は齎される。

さて、長くなったが、本作品における主人公である「のぼうサマ」の将器について考えてみる。
上で挙げた戦国の英雄3人のどれかのタイプにかすりもしない。

のぼうサマは「大男」で、ただただ「のそのそ」している。
そして、「表情は極端に乏し」かったり、「薄ぼんやりした顔」であるが、ことが起こると、その表情の乏しさが「馬鹿者の顔」であったり、「何やら考えが頭を駆け巡っている顔」にも見える。
「のぼうサマ」は、けして顔を読ませない、いや、読めないのである。
だから、とんでもなく大馬鹿者にも思えるし、底知れぬ将器の大きさとも思えるのだ。
そして、のぼうサマはびっくりするくらい「不器用」だ。
城下の村に百姓仕事を手伝いに行けば、百姓から断られる。
なぜなら彼は「わざとやっているかと思うほど、無能な肉体労働者」であるからだ。
しかも、百姓仕事だけではない。
馬も乗れない」し、「刀術、槍術、体術、あらゆる運動ができなかった」というとんでもないくらいのどんくささ。
でも、そんな不器用な「のぼうサマ」は田植田楽は超得意。
水攻めにあった忍城から船を漕ぎだして田植田楽を舞う。
敵味方のすべてを魅了してしまう「のぼうサマ」。
農作業で不器用さを見せていたのぼうサマとは思えないくらい、どうしたんだ、のぼうサマ。
そして、そんなのぼうサマ、口を開けば本音を全開。
その場の空気なんかお構いなしに、腹の底にあるものを正直に吐き出す。
たとえそれが、開戦に踏み切ることになり、忍城城下の民草を戦に巻き込むことになったとしても、彼は嘘は吐けないのだ。
でも、それはみんなが口に出さずとも考えていたり、感じていたこと。
それを「のぼうサマ」はいとも簡単に吐き出してしまうのだ。
のぼうサマの言葉を聴く人々は本音激白に青くなったり、心の中で大いに同意したりと忙しい。
でも、「のぼうサマ」、彼は間違ったことは言ってない。

ここまで振り返ってみる「のぼうサマ」、どう考えても「将器」ゼロな予感だ。

「のぼうサマ」はいろんな意味で「ホンモノ」なのか?
「ホンモノ」…バカか名将なのか?
でも、ひとつだけわかっているのは、「のぼうサマ」は「人望」があることだけは確かなのだ。
忍城城下の百姓たちは口々に「のぼうサマが戦するってえならよう、我ら百姓が助けてやんなきゃどうしょうもあんめえよ
俺たちがついてなきゃ、あののぼうサマは何もできゃしねえ」と言って、「のぼうサマ」を支えようとする。
とにかく、みんな「のぼうサマ」が大好きなのだ。

上方勢の総大将たる石田三成はのぼうサマを評して
(統率なんて)何もできないんだ。それがあの成田長親という男の将器の秘密だ
という。

バカ殿様というのは、時に名君になる。
バカ殿様の下に優秀な部下が揃い、なおかつ、バカ殿様がなまじあれこれ口出ししなければ、部下たちが発奮してバカ殿様を支えるからだ。
話が少しズレるが、浅田次郎の『一路』の蒔坂左京大夫(まいさかさきょうだいぶ)という交代寄合旗本のご大身もバカ殿様(でも、実はバカ殿様でもなさげw)で、部下がみんなで必死に支える。

不器用でもまっすぐな凛とした矜持を持ち、身分の上下を問わずに人々から愛された「のぼうサマ」。
彼は忍城に籠城する人々をひとつに纏め上げてしまい、たった500騎やそこらで2万数千の敵と対等に渡り合い、上方勢に対して唯一不落を誇った忍城を竹帛に垂れた「のぼうサマ」。

やっぱスゴイかw

たぶん、日本人というのは判官びいきで、「多勢に無勢」、どうしても「無勢」を応援したくなる。
現在、大河ドラマで『真田丸』なぞやっているが、その『真田丸』で擬えるならば、
大阪夏の陣において真田幸村は3000ほどの寡兵で越前松平家の松平忠直隊の15,000の大軍を突破し、
後方の家康本陣に向かって突撃し、親衛隊・旗本・重臣勢を蹂躙し尽くし、それから家康の本陣に突入する。
家康の本陣が攻め込まれ馬印が倒されたのは、対武田信玄の「三方ヶ原の戦い」以来二度目である。
信玄にされるがままであった三方ヶ原の戦いでは、家康はシッコちびって大潰走し、その時の無様な自分の様を忘れないよう…肝に銘じようと「しかみ像」を描かせたという。
信玄に死を覚悟するまで追い込まれた家康、この時も真田隊の凄まじさに家康は自害を二度も覚悟したほどだったという話も伝わる(池波正太郎『真田太平記』)

負けると解っている戦いでも引けない、いや、引かない。
そして、精一杯戦い抜こうとするから、みんな応援したくなるのだろう。
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ま、いつも通りにテキトーに。

「レポ」とか何さま気取り?みたいなw
そんなカッケーもんじゃない。
「レポ」なんつって書いてたらちゃんちゃらおかしいわw
確かに全世界に垂れ流してはいるが、極めて内向きのオ●ニーブログですw
なので、書いてることは感想はあくまでもアテクシどもの個人的な感想、ゆえにまったく参考にならんと思うので、各自自己責任で、なw
ヲイラは責任取れません。
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…てか、検索してまでも見ないわなw

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